チロリン橋

伝説の地(野田地区) 

 その昔、川辺村から今泉村へ十歳ぐらいの少女が、子守りにきていた。子守りといっても、炊事せんたくから、子供を遊ばせたり寝かせたり、たくさんの仕事を朝早くから夜おそくまで、一日十五時間以上も働かなければならなかった。

そんな重労働のほかにも、周囲からいやみをいわれたり、どなられれたり、それはとてもつらい毎日だった。

 あるとき、ご主人の家でお金がなくなった。

 「おまえが盗ったんだろう、おまえの家は貧乏だからな!」

とせめたてられた。どんなにせめられても、身に覚えのないこと。仕事のことや気がきかないということでしかられるのは我慢できても“どろぼう”といわれたことは、少女にとって、これほどつらく悲しいことはなかった。

 その夜少女は、母親が七つの祝いのとき買ってくれたポックリをふところに入れて、主人の家を出てしまった。まっくらな田んぼのあぜ道をとぼとぼ歩く少女。

足をふみはずして田んぼへ落ちたりしながら、

 「おっかあ、おっかあ」

と母を呼び続け、村境の橋をわたっておっかあのいるわが家の方へ向かった。

 なつかしいわが家の前にきたが、雨戸がしめられ、家まで眠っているような静けさだ。戸をたたいて、おっかあのあたたかい胸に・・・と少女は思ったが、なぜかそれができない。それは、少女の家ではすでに子守代として、主人の家からお金を前借りし、それを使ってしまったことを知っていたからだった。

 家に戻ってしまったら、おっかあも、おとうも、きっとつらい思いをするだろう。

そう考えると、戸をたたくことがどうしてもできなかった。いつの間にか少女は、村境の橋の上まで戻ってしまった。ふところのなかでは、ポックリについている鈴がチロリン、チロリンと鳴っている。

 やがて、一番どりが鳴き、夜も明けてきた。わが家に戻ることも、主人の家に戻ることもできず、思いあまった少女は、ポックリをだいて川に身を投げてしまったそうだ。

 のちに村人がこの丸木橋をわたろうとすると

 「チロリン、チロリン」

と悲しげに鈴の音がする。恐ろしさで逃げかえった村人が、だれかれなくこの話をしたから、ぱっとうわさが広がり、それからというもの、この橋は“チロリン橋”と呼ばれるようになり、女子供の近付かないさびしい橋になってしまったという 

 

野栄町史付録 

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