飯高の供養塔(いいだかのくようとう)
伝説の地(飯高地区)
文政の頃、林八郎次は、しきりに領主中根氏に賄賂(わいろ)を送り 、代官になった。代官になってからは、やたらと工事を起し、溝を掘り、溜池用(ためいけよう)の土地を自分のものにして不正を働いていた。
農民は、溜池を取り上げられ、水が引けないので米作りに大変困っていた。
農民が何とかしてもらおうと請願しても、聞き届けてくれないばかりか、益々、土地を自分のものにしていった。
農民たちは、ついに堪忍袋(かんにんぶくろ)の緒(お)が切れて、文政十二年(1829)一月二日、農民幸助等は、八郎次を殺そうと謀(はか)った。
しかし、八郎次は辛(かろ)うじて難(なん)を逃れ、領主に訴えた。幸助等は捕えられ、牢に入れられて、水や食物も与えられず、拷問(ごうもん)されて十一人もの農民が殺されてしまった。
後になって、八郎次の悪事もすべてばれ、捕えられて、一家は差し押さえ、自らも牢獄(ろうごく)で無残な死をとげた。
この悲しい出来事で、村人たちは獄死(ごくし)した十一名の供養塔(くようとう)をつくり冥福(めいふく)を祈ったという。
香取郡誌 八日市場市の沿革と人物
◇妙福寺の門前にある供養塔/左側面には11名の 死者の戒名と死亡年月日が刻まれて いる
(平成18年10月撮影)
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