古能葉稲荷大明神(このはいなりだいみょうじん)
伝説の地(飯高地区飯高)
その昔、檀林(だんりん)の僧が、朝早く、掃除をしようとして、大講堂の前庭に出てみると、総門(そうもん)の方から、大講堂の昇り段のところまで、狐(きつね)の足跡がはっきりとついていた。庭を歩き回った足跡からみて、大講堂の中へ入った様子なのだ。僧は狐がどうして大講堂の中に入ったのか、不思議に思えてならなかった。
翌日も、足跡は大講堂のところで切れていた。僧は、仲間にこのことを話した。
「それはおもしろいぞ。みんなで探してみるか」
ということになり、鶯谷(うぐいすだに)一帯を探し回ってみた。狐は見つからない。夜中も見張っていたが、狐らしいものは一向(いっこう)に見当らないのだ。何日かたって、今度は、
「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」
とお題目(だいもく)を書いた木の葉が、庭に落ちていた。このことは、飯高村ばかりではなく、このあたり一帯の評判となった。
足跡を残した狐の仕業(しわざ)とも思われず、かと言って、そんなことは誰もしていない。当時は、憶測に憶測が重なって、いろいろなうわさ話が生まれたようだ。
ところが、何年か過ぎて、その正体がはっきりした。能化上人(のうけしょうにん)の檀林入山式の日のことである。
その日は、上人の入山式とあって、大酒盛があった。普段、酒など飲めない学僧なので、その日だけは、無礼講(ぶれいこう)とばかり、みんな酔いつぶれるほど飲んだ。
酒宴も終わり、僧たちはみんな引き上げてしまった。ところが、一人の僧が酔いつぶれて動こうとしない。上人は、不思議に思っていろいろと尋ねてみた。
僧は、上人の前にひざまづき、ついに、正体を現わしてしまった。狐だったのだ。
この狐は、表参道の橋げた近くの穴に住んでいた。毎日、毎日学僧の唱える法華経の教えに感動して、勉強がしたくなり、能化の授業に出席していた。何年も何年もの間。しかも、一生懸命だったので、いろいろな教えの奥義(おうぎ)を身につけ、時々、学寮の僧たちに、法門を指南(しなん)するほどであった。
上人は、この話を聞き、法華経の奥義をきわめ、学僧の師となった努力に対して、僧に化けていたことを許してやることにした。
狐は、これから後、法華経の教えを守る一族として、仕えることを誓ったのである。
上人は、狐のために、大講堂の前庭の一角に、祠(ほこら)をつくり、ここに住まわせた。
後に、この祠は、古能葉稲荷大明神と呼ばれ久遠寺本仏(くおんじほんぶつ)の代わり身として、信心する者が多いという。
今でも、五穀の守護神として、願(がん)をかけ、成就(じょうじゅ)のお礼に赤い幟(のぼり)を立てる者が大勢いる。
原話 そうさの伝説とむかし話、房総の史実と伝説、八日市場市の沿革と人物
◇飯高檀林講堂前にある古能葉稲荷神社(平成18年9月撮影)
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