円長寺の仁王様(えんちょうじのにおうさま)
伝説の地(野田地区野手)
昔々のこと、それはものすごい風と雨が何日も続いた。
人々は天を仰ぎながら
「風神様の風の袋が破れてしまったのだろうか」
とか「天の底がぬけてしまったのかも知れぬ」
などと話しながら、困りはてていた。
海がしけて魚がとれない。農作物も、大風に荒らされて大きな被害を受けた。
「何かのたたりかも知れない」
村人の不安がいっそうつのっていった。そこで相談の結果、みんなそろって神社や寺にお参りすることになった。お参りをしてから二、三日過ぎると、あら不思議、風雨はピタリとやみ、きのうまでの嵐はウソのようなよい天気。
しかし、嵐の後の田畑は荒らされ、海岸には大木やゴミが打ち上げられ、足の踏み場もないありさま。そしておどろいたことに、木やゴミといっしょに、貝がらのついた片足のない二本の大きな仁王様も打ち上げられていた。それは陰と陽の仁王様で、うつぶせの姿勢で、いかにも陸へはい上がろうとしているようだ。村人たちは、そのようすから陸へ引っ張り上げてやろうとした。不思議にもその大きな仁王様が、四人ほどで簡単に持ち上げることができた。
「仁王様は、きっとどこかへ行きたいんだ、向いている方へどこまでも運んでいこう」
と村人たちは、かわり番にかついで行った。と円長寺の門のところまで来ると、突然仁王様が重くなり、どうしても動かすことができない。
「仁王様は円長寺の門に立ちたいんだ」
と気がついた村人は、付着していた貝がらを落とし、もげた足を修理して色を染めなおし立派な門をつくって、ここに祀(まつ)ることにした。
やがて、風雨で荒らされた田畑の作物ももちなおし、海では魚もたくさんとれるようになった。これは仁王様のおかげだろうか。それにしてもこの仁王様は、いったいどこから流れてきたのだろうか。いい伝えによると、鎌倉の動乱のとき、北条氏が建長寺の山門にあった仁王尊を海に流したものだそうだ。
野栄町史付録
◇円長寺の仁王門(平成18年10月撮影)
◇円長寺門前に立つ仁王様 (平成18年10月撮影)
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