子安神社(こやすじんじゃ)
伝説の地(横芝光町母子)
昔々、今の母子(はあご)に木華咲耶姫(このはなさくやひめ)という女が住んでいた。
ある時、男の神様が香取へ向う途中にここへ立ち寄った。ちょうど、夕暮れ時だったので、その晩は姫の家へ泊めて貰うことにした。よほど姫が気にいったのか、一晩の約束が一年、三年となり、ついに男の神様はここに住み着くことになってしまった。
やがて、姫は子供を宿(やど)した。
小さな小屋をいなひめ山の麓(ふもと)に造り、その中でかわいい女の子を出産した。幸いにも、お産は大変軽かった。産湯(うぶゆ)は、近くを流れる産湯川でつかい、お産で出てくるいろいろなものは、いなひめ山の麓に埋めた。
月日が流れて、木華咲耶姫が亡くなる時、「私が死んだら、社に祀っていただけますか。そうすれば、村の人々のお産が軽くなるようになるでしょう」と言い残して亡くなった。
さっそく村人たちは、御堂を造って姫を祀った。後には、姫の娘も御堂に祀られて母子屋(はあごや)と呼ばれるようになった。
時代が変わり、母子屋は安産の神様として、子安神社となった。
今でも、いなひめ山の麓を掘り起こすと、目が潰(つぶ)れるとか、産湯川に汚いものを流すと病に罹る、と言い伝えられている。「母子」の地名も、母子屋から取ったと言われている。
原話 斉藤悦一
◇横芝光町母子にある子安神社<豊栄地区飯倉に隣接>
(平成18年10月撮影)
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- 2019年2月22日
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