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庄八(しょうはち)

伝説の地(野田地区野手) 

 “庄八”(しょうはち)という盆踊り唄が、野手西宿を中心に、他の地区でも唄われており、県の無形文化財にも指定されている。野手の“庄八”は旧八日市場市のものとは多少文句が異なるが、その一説を紹介すると次の通りである。

  庄八盆踊謡

庄八庄八多けれど  

堀川生まれの庄八が

縁に引かれて野手村へ

野手村三次に誘われて

所の商売船のりよ

六日六日は多けれど

霜月六日に船を出し

出船はよけれど入船に

なぐろは寄せくる潮は早し

一つのなぐろを乗り越えて

二つのなぐろを乗り越えて

三つなぐろの中程で

早緒は切れるし櫓(ろ)ははねる

大難沖とておそろしや

庄八命はたまらない

庄八御方の心願は

十二の手箱を散供櫃(さごひつ)に

中なるかけごを番箱に

油筒をば花立に

唐の鏡を鍔口(つばくち)に

五足のかもじを鏡の緒に

天で青空星の数

七里が浜の砂の数

山で木の数茅(かや)の数

五反畠(ごたんばたけ)の芥子(からし)の数

これほど心願かけたれど

庄八命はたまらない


  唄のなかに出てくる庄八とは人の名で、生まれ育った堀川と、ムコに入った野手の両方に“庄八屋敷”と呼ばれる家が残っており、以前は井戸もあったという。

 また戦前までは、近くの円長寺に庄八の墓が実際にあったようで、堀川にはその子孫も住んでいるということだ。では、庄八とはいったいどんな人物か。

 歌詞によると、庄八は堀川の生まれで、野手へムコ入りした。ある日シケの海へ漁に出て遭難、死んでしまった。遺体は円長寺に埋葬したが、貞女で亭主おもいの女房は、嘆き悲しみ、雨の日も風の日も墓に詣でて、夫をしのぶ毎日。あまりにふびんに思った寺の御前様が、唄をつくってあげたのだという。

 詞の内容が、江戸時代の中ごろに関西方面ではやった浄瑠璃(じょうるり)に似た口説形式をとっていること、また、唄に出てくる漁法などから、庄八は江戸時代に生きた漁師であったようだ。

 円長寺にあったとされる庄八の墓は「飯岡石で舟の形につくられ、船頭が乗っていた」という目撃談がいくつもあるが、どうしたわけか戦後は、ぷっつりその姿を消してしまった。

 

野栄町史付録 

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