駒まね(駒まねき)
伝説の地(中央地区東本町)
ずうーと昔の神々の時代のことだがな、このあたりは、低い土地には葦(あし)、小高い台地には竹が、びっしりと生えておったそうだ。
ここをおとおりになったある神が、
「この土地は、なかなかよく肥えている。畑にすると作物が、たくさんとれる」
と、お考えになって、大ぜいの神々を呼び集めて知恵を出し合ったそうだ。
「石おので、なぎ倒してひらいたらどうかな」
「いや、みんなで踏みつぶしてはいかがか」
「それよりも、火を放って焼きはらったらどうかのう」
いろいろの考えが出されたが、四方から火を放って、焼き畑とすることに決まったそうだ。
神々は、たいまつをもって、野原の四方にちり、火をつけた。
バーン、バーン、ポーン、ポーン
ボー、ボー、ゴー、ゴー
とたちまち火の手は、燃え上がり、そのいきおいは、すさまじかった。
突然、その時、
「ヒ、ヒ、ヒーン、ヒ、ヒ、ヒーン」
駒のけわしい、嘶(いなな)きが聞こえてきた。
神々は、びっくりして、その声のする方に目をやると、白馬が、たて髪をふりみだし、前足を高くふり上げて、飛び上がった。
「あ、神馬だ」
「われわれの大親の神の使いの馬だ」
「何とか、助けねばなるまい」
だが、燃えさかる火のいきおいに、さすがの神々も、近寄ることができなかったそうだ。
一夜が過ぎて、燃え残りの草木がくすぶる野原に目をやった神々は、そこに、きのうの白馬の焼けただれた姿を見つけた。
神々は、その地に神馬を埋めて塚をきずいたそうだ。
この地は、作物がよくできたので、人々が集まり、村が栄え、月の八日には、近くの村々から、米だの麦だの、野菜だの魚だの綿だのを持ちよってとりかえ合う「市(いち)」が開かれるようになったそうだ。それで、「八日市場」という地名がつけられた。
ところがな、いつのことだか、この地にはやり病(やまい)やら、火事やら、害虫による不作やらの不幸が続いて、ずい分とにぎやかだった村もさびれる一方になってしまった。そこで村人たちは寄り合って話し合った。
その時、村一番の年寄りじい様が、こんなことをいったそうだ。
「わしが、まだ子どもの頃に、八十ばあさんから聞いた話だがな、『この土地には、火で焼かれた神の使いの白馬のたたりが、しみついている』ってことだ。だからな、神馬(じんば)のたたりをはらうことがいいっぺよ」
そこで、村人たちは、青竹を切ってきて、四隅(よすみ)に立て、注連縄(しめなわ)を張った。火で焼かれた白馬のまねをみんなでして、神馬を招いて、お祭りをして、たたりを許してもらうお祈りをしたそうだ。
するとな、ふしぎなことに、だんだんと村は栄えるようになった。それで、毎年旧の六月十二日はよ、駒まねきのお祭りをすることにしたそうだ。
それが、「駒まねき」のおこりだそうだ。
再話 あんどうみさお
ふるさとの民話(12) ニューライフ
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- 2019年2月18日
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