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曽我兄弟の墓(そがきょうだいのはか)

伝説の地(匝瑳地区山桑) 

 源義朝(みなもとのよしとも)が平治の乱に敗れ、その家臣である鬼王七郎左衛門(おにおうしちろうざえもん)も東国に落ち、今の匝瑳市山桑に逃れた。

 七郎左衛門には鬼王丸・団三郎の二子があり、共に父の遺命(いめい)で伊豆の河津祐泰(かわずひろやす)に仕えた。祐泰には十郎・五郎の二子があり鬼王丸は五郎を、団三郎は十郎をお守りした。

 安元二年(1176)祐泰は、伊豆の狩り場で工藤祐経(くどうひろつね)に殺された。十郎・五郎兄弟の母親は、後に曽我祐信(そがひろのぶ)に嫁ぎ、曽我の姓を名乗ったあとも、鬼王丸・団三郎兄弟は引続き曽我兄弟に仕えていた。

 建久四年(1193)、富士の裾野(すその)の巻狩りで工藤祐経を殺し、父の仇(あだ)を討ったが、十郎は討たれ、五郎は捕われた後に殺された。鬼王丸・団三郎兄弟は、十郎・五郎の遺骨を携えて山桑に帰り、ねんごろに葬ったという。現在でも鬼王家の墓地には曽我兄弟の墓がある。

 なお、曽我物語で、十郎の妾(めかけ)として登場する大磯の虎御前が、この山桑を訪れ鬼王家に七年間も滞在し、曽我兄弟の冥福(めいふく)を祈ったといわれている。虎御前が用いたうちかけは、今も残るという。

 

房総の伝説  

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