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権左が西国(ごんざがさいこく)

伝説の地(中央地区米倉) 

 ___ 昔々、西光寺と言うお寺の近くに、権左(ごんざ)という若者が住んでいた。 百姓のかたわら茶屋を開いていたが、女房のお満は、それはたいそう評判の美人で、仲よく暮らしていた。

 ある年のこと、権左は田植えが終わり、村の衆(しゅう)と一緒に、伊勢詣(まい)りに出かけることにした。

権左が西国(ごんざがさいこく) 絵画「お満、おらあ-、お伊勢様に御詣りに行ってくべえ」
「え!わたし一人置いてかえ」
「心配すんな、秋の刈り入れまでに、きっと帰って来るだよ」
「気をつけてなあ、本当に、本当に、気をつけてなあ」
やさしいお満は、権左のことが、心配で、心配でしようがありません。
権左が旅立ってから、暑い夏が過ぎ、田んぼの稲も黄色味をおび、秋風が立ち始めてきた。秋の刈り入れの時である。 
村人たちは、伊勢詣りから帰り、刈り入れの準備に忙しい。 
しかし、権左は帰って来ない。
 子供もなく、一人取り残されたお満は、一緒に出かけた村人たちに、権左の消息を尋ねて歩いた。だが、誰一人として権左のことを話してくれる人がないのだ。
 とうとうお満は、心配のあまり気が狂ってしまった。それから、だんだんと目も見えなくなり、一人寂しく死んでしまった。
 それから何年かしてのこと。突然、権左が戻って来た。しかし、女房のお満は、すでにこの世の人ではない。
 一人残された権左は、ぼう然として、八日市場の村をさまよい歩いたという。
暑い暑い夏の日のこと。
 家々では、ちょうど盆の準備に忙しいとき どこからともなく、淡い切ない人生が唄い込まれた、哀調(あいちょう)あふれる“権左が西国”の囃子(はやし)が聞こえて来るのだった。

 

 

権左節 (権左が西国)

権左が西国    ナアー      長の旅する                                      

あとではお方が  ナアーヨー    お茶の水くむ                                 

お茶水くめども           桶に水なし

あれ見よ筑波の           山の横雲

横雲したこそ            おらが親里                

銚子は名所で            金がより来る

あさまし飯岡は           死貝より来る

高神名主(たかがみなぬし)の    庭のほしもの

海草にかじめに           ひじきのげのり

鏑木酒屋(かぶらきさかや)の    嫁の寝言に

この米つかずに           酒になればと

 

米倉西光寺     ナアー     庭の榎木(えのき)に

しらさぎ巣をかけ  ナアーヨー   月にかがやく

小原子田中(おばらくたのなか)の  よごれ不動様

御利生(ごりしょ)がかなわば    まいれ友達

東金田谷津(とうがねたやず)で   女子(おなご)すげかる

すげかり笠縫(かさぬ)って     君の目笠に

東金茂右衛門(とうがねもうえもん) 嫁はどこから

七浜(しちはま)たずねて      なくて江戸から

江戸江戸本所の           茶屋の小娘

絵もかく手もかく          ひぜんかさかく

 

注・・・権左節(権左が西国)は、中央地区米倉を中心に古くから唄い継がれてきた盆踊歌で、「庄八(しょうはち)」、「東上総(ひがしかずさ)」とともに“中央地区の盆踊り”として千葉県の無形文化財に指定されている。 

 

米倉の西光寺(中央奥)を望む風景

◇米倉の西光寺(中央奥)を望む風景 (平成18年10月撮影)

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