毎年8月4・5日行われる八重垣神社祇園祭は、八重垣神社を中心に10町内から合わせて20数基の神輿が繰り出されます。笛・太鼓の軽快なお囃子に合わせ、担がれる神輿はこの地方特有のスタイルで、「あんりゃぁどした」という威勢のいいかけ声で練り歩く姿は、見ている者も心踊ります。また、祇園祭は神輿の行列に冷水を浴びせかけるのも特徴です。

 従来女性は神輿を担ぐことは許されていませんでしたが、この祇園祭では女人禁制の旧例が緩和されて、「女神輿」が繰り出されるようになりました。この女神輿は、全国でも極めて珍しい女性だけが担ぐ神輿として注目を集めています。4日の夕方から威勢のいい女性達により男達に負けじと各町内から10基の神輿が渡御されます。

 この祇園祭のハイライトは神輿連合渡御です。5日の午前に八日市場小学校に10町内から集まった20基以上の神輿と囃子連は、延々と連なって市街を練り歩きます。夕刻になり八重垣神社に次々と入る前には活気が最高潮に達し、担ぎ手達の力の入った渡御がみられます。

日時

毎年8月4・5日

交通

JR総武本線八日市場駅下車

 

祇園祭の歴史

 歴史資料が乏しいのですが、見徳寺に所蔵する古文書によれば「祇園会は元禄十年(1697)の頃なり、別当見徳寺始め毎年天王宮免田米をもって祭礼す」とあり、これを祇園祭の起源とみることができます。さらに別の古文書によると「正徳三年(1713)六月十九日、門前へ初めて神輿を本振りなり」とあり、この頃に神輿が担がれるようになったようです。

 祇園祭特有のお囃子が登場するのは明治中期以降でその伝承の経過から通称「三川囃子」と呼ばれています。

 また、神輿渡御が盛り上がると町どおしの紛争が絶えませんでした。そこで解消する方策として大正時代からは神輿連合渡御が行われるようになり、それが現在も承継されています。

大正時代の祇園祭

大正時代の祇園祭

昭和40年代の祇園祭

昭和40年代頃の祇園祭