伝説の地(野田地区野手) 

 六社大神の御神宝である宝石の由来記が、伊橋家に伝わっている。これを

記したのは、当時の神官をしていた中臣定次であり、その由来記によると―。


 『応永二十三年(1416)九月三日の夜半、下総の国匝瑳郡野田の浦で、一

人の漁夫が海をながめていたら、はるか玉崎の神原沖の波の合い間に何か

光るものがある。翌日も同じ刻限に海岸へ出てみると、やはり光るものが現

れ、野田の浦を照らしている。

 不思議に思った漁夫は、さっそく産土神(うぶすなのかみ)に参詣し、そのもよ

うを私(中臣定次)に伝え海上の安全を祈った。私はこのことを広く村人に話し

たところ、すぐ村人たちは境内に集まってきて、みんなで海の平穏と魚の盛ん

になることを祈った。そしてその夜、村人たちはこぞって野田の浦へ行き、光を

見ることになった。

 やがて、玉崎の沖の水底に光が見え、それが日の出のように波の上に現わ

れて、カッと海面を照らした。私も村の老若男女も、その霊光ともいえる輝きに

驚き、九拝して退いた。

 六日になって、一人の漁夫が波打ちぎわに玉のような小石が二つあるのを

見つけ、私のところへ持ってきた。私はうやうやしくこの玉を受け、神殿に供え

た。

 それ以来、野田の浦では大漁が続き、諸民こぞって豊かで楽しい暮らしがで

きるようになった。それもこれも神様のおかげである―ということで、この地に

海神を祀(まつ)り、私がその祭主となった。何と不思議なことであろう。この玉

は神様であろうか。

 応永二十四年丁酉九月五日に、野田龍神にご神幸があり、翌六日六社(神

社)に来て祭祀(さいし)を行った。それから玉崎に還幸となったが、私はこれ

らのことを後世に伝えんとして、ここに由来を記すことにした。』


野栄町史付録