新川「鎌数伊勢皇大臣」(しんかわ「かまかずいせこうだいじん」)
伝説の地(椿海地区他)
椿の海の干拓事業が盛んに行われれていた頃のことである。白井治郎右衛
門(しらいじろううえもん)は、湖の水をどうしたらうまく海へ流すことができる
か、大変苦労していた。始めは、東の三川浦(さんがわうら)まで川を掘って流
そうとしたが、海水が湖に逆流してしまった。
白井治郎右衛門は、すっかり困り果ててしまい、日頃信仰していた伊勢大神
宮へお願いすることにした。椿の湖へ舟を乗り出し、船中で修祓(しゅうばつ)
を行い、
「川を掘るべき方向を御諭(みさと)しあらしめ給え。何とぞ川を掘るべき方
に、この舟を急がし給え」
と祈り続けた。そして、船を湖の中央に浮かべ、風の吹くままに放した。
舟は、東へ西へ、北へ南へと舳先
(へさき)を変えながら、ついに湖の
南、鎌数の村へ流れ着いた。
「神のお告げがあったぞ!」
「ここが川を掘るところだぞ!」
白井治郎右衛門も村人も、みんな踊り
あがって喜んだ。神のお告げがあった
というので、干拓事業に反対していた
漁師たちも協力してくれるようになっ
た。
今のように機械のある時代ではない
ので、巾二十メートルもある川を掘る
のは、大変な仕事であった。川岸が崩れないように柳の枝を編んで埋めたり、
難工事の連続だったが、村人の懸命な働きにより、何とか矢指(やさし)が浦
の永井浜(匝瑳市吉崎浜)まで川が出来上がった。時に、寛文十年(1670)
十二月二十八日であった。
おかげで、椿の湖はたちまちのうちに干し上がり、寛文十一年の春には、立
派な水田が出来上がったそうだ。現在の新川は、この時に掘られた川である。
干拓の成功は、皇大神の御恵みと信じた村人が、船の流れ着いた鎌数の地
に大宮柱(だいぐうばしら)を祀(まつ)ったのが、今の鎌数伊勢皇大神と伝え
られる。
※ 一説には、水のはけ口地点を占うのに、御神木のサカキの木を流したと
も伝えられている。
原話 匝瑳郡誌、大神宮霊験雑記、房総の史実と伝説
◇旭市鎌数にある鎌数伊勢大神宮(平成18年10月撮影)



